とりあえず、これが最後のブログ記事になります。
いつ再会できるやら。もう少し時間をかけられれば良かったけれど、なにしろその時間が足りなくて。
というわけで、90年代初期に早世したイタリア人写真家の言葉で締めくくりたいと思います。
彼の残した作品や言葉は、私がカメラを手にして以来ずっとインスピレーションを与えて続けてくれています。
イメージというものは「心をもって解くなぞ」である。写真とは何かと聞かれる時、私はいつもこう答えている。なぜなら、良さそうな全ての答えは常に部分的かつ限定的であるし、この答えが実際私の考えるものに一番近いと思われるからだ。
風景や顔の輪郭、建築物のボリューム、空間、彩られた壁、夜のぼんやりとした明かりの灯る店、そして雲がこの世界にある景色にもたらす不思議な調和を目にするとき、私はこの感情におそらくいつも導かれている。
何気ない部屋や道の敷石、見たこともない庭の角、塀、色、空間、家。これらのものに突然親しみが湧き、自分の一部のように感じられるのは何故か説明するのは難しい。その場所に住んでいたような気がして、全ては実在し、私たちの視線の先にも存在し続けるだろうということを、完全な調和が忘れさせてしまうのだ。
教会、ジェスチャー、光、霧、霜がついた枝、青い海。ひとつひとつ並べてみると、これらの場所が石で出来た不思議な流れのようなものを生み出す。縮尺比が合わない、方角がわかるような地理的な配列もない、ありえない風景。モニュメントや光、考え、もの、瞬間、特徴の絡まりが、自分だけの景色を作り出す。
窓の外を見る時、外の開かれた世界を見る度に、無意識に探してしまう風景。
可能性のある方角を指す想像上の方位磁石の針のように。
Luigi Ghirri, 1989年(ルイジ・ギッリ)
記:アレッサンドロ・メリーニ