道端に誰かが捨てた一枚のスライドとその近くに落ちていた紙袋。これを偶然見つけた女性ジャーナリストによってこの物語は始まる。
袋の中には沢山のスライドが入っている。その写真の美しさに彼女は驚き、なぜそこに捨てられていたのか不思議に思う。
このオンラインビデオを共有した後、ユーザーから多くのコメントを受け取った。
―ステイシー:私はいつもこういうものを集めています。それは失われた人生のようであり、悲しくなります。
―ビリー:ゴミ箱に捨てられた家族写真ほど悲劇的なものはないね。
ジャーナリストの彼女はこれが興味深いストーリーになるのではないかと考えた。捨てられた写真の中には住所や名前の書かれた一通の手紙も入っていた。
あるユーザーからメッセージにより、この人物はマリアーナとう人物で、ある雑誌のためにレポーターをしていたが2012年3月に突然亡くなったことがわかった。
写真の女性は彼女だろうか?なぜこのような写真が、人生の集大成が道端に捨てられたのだろうか?この謎を解きたい、もうこの世には存在しない彼女の写真の物語を突き止めたいと考えた。
最終的に、死後4年目に彼女の写真を捨てた人物がわかる。マリアーナの人生、人に対する情熱、興味、そして自分の小さい飛行機で空を飛ぶことをどれほど愛していたかを知ることになる。
最後には、彼女の32年間のパートナーだったジミーにたどり着く。
―僕たちはお互いをとても愛していたんだ。。。
感情を抑えきれず、ある日あの写真を彼自身が捨てたことも分かった。
この話は私をとても悲しい気持ちにさせた。この話を考えて、自分はそんなことは絶対にしないだろうと思う。
誰かの写真を撮る度に、その人の一部が写真に残るような感じがする。と同時に自分の一部もまたイメージの中に残る。
100年後、私達がいなくなって、私達の写真の何枚かは残るかもしれない。それなら、写真は生き残るための手段だろうか?おそらくそうだ。
ジミーはスライドを捨てるべきではなかったが、だからといって彼を責めるのは正しくないと思う。ときに、一人で抱えるには重すぎるものがある。
オンラインに寄せられたデイヴィッドからのコメントがあった。
―大切な人の素晴らしい思い出を残すことは辛いこともある。もしその人が旅立ってしまったのならば。
最後にジミーが言った言葉に真実があると私は思う。
―私が行った一番素晴らしいことは、良く愛し、愛されたことだ。
輝く一瞬が写真の中で誰かの思い出になる前に、その瞬間を生きることが一番大切なのだ。
記:アレッサンドロ・メリーニ